様々な事柄がどうしてそうなっているのかを考える。
例えば、自分はaさんが好きだ、というときに、aさんが好きな理由を挙げていくことはできるが、なぜ今現在aさんが好きな自分でなければならなかったのか、と考えるとその必然性を見いだせないということに気づく。
別にaさんじゃなくてbさんでもcさんでもよかったはずではないのか、と。
(そう考えていくと最終的に ではどうして世界は今現在あるこの形としてあらわれているのか、ということになるがそれはまあ別の話として)
その上で人の意志というのは何なのか、と考える。
複数ある必然性の見いだせない選択肢の中から一つを選び出す意志というものはいったいどこから来ているのか。
前述の例えで、別にaさんじゃなくてbさんでもcさんでもよかったはずではないのか、にも関わらずaさんを選択しているという決定で、その理由を考えてみると「なんとなく」「運命的にそうなっている」といったようなことになってしまうが、「なんとなく」というものに依存して決定されているものを自分の意志と言えるのかどうか、また「運命的に」ということであれば、それはすでに決定されている筋書きに沿っているだけであって、自分で決定したことにはならないのではないか。
つまり、人には自分の意志なんていうものはなく、外部からの要因で決まっている(なんとなく)またはあらかじめ用意された筋書きに沿って行動している(運命的に)のではないか、といったことになる。「偶然に」としてみてもそうだ。偶然という外部的な要因で決定されているということになり、それは結局自分で決めたとは言い難い。
しかしながら、自分の意志ではなんら決定をしておらず、すべてが外部的要因に依存している・偶然に支配されている、あるいはあらかじめ決定された筋書きにそってすべてが進行している、といういずれの考え方も非常に受け容れがたいものがあり、自分には自分の意志があるはず、外部的な要因がなくても自分は自分で選択している、と思っていることと、自分で選択していると思っているにも関わらずその必然性がまったく説明できないという溝は埋めがたい。

どうしてこんなことを考えて書くのか、それもわからないね…