鬱病患者の脳に磁界を作用させる新療法(上)


TMSが治療効果を発揮する仕組みは電気ショックと同じで、鬱病をはじめとする気分障害は脳内の電気的活動を変えることで改善できるとの考え方に基づいている
外部からの刺激で気分を変えられる、ということはつまり、落ち込んだら脳に外から刺激を与える→落ち込んでない状態にもどる、また、応用したら何を食ってもうまいと感じるようにしたり、視覚野に刺激を与えたら見えてないものが見えたりするようにすることも可能ということか。

薬物が精神状態を変化させる(抗うつ剤覚醒剤等々…)ということもあるし、人の心理ってのは結局、脳のなかの化学物質と電流の流れ方の変化に過ぎない、と考えることもできると思う。

とまあ、ここまではいいとして。不思議なのはどうしてそういった単に物質の状態が変化した、というだけに過ぎないことが、感覚に結びつくんだろうか、ということ。たとえば何か大切なものを失ったとする、それが「悲しい」という感情を引き起こすその仕組みは。

「悲しい」と「思うように」脳の中の状態が変化したんだよ、という考えがすぐに浮かぶが、その考えもおかしい。そう思うように変化した、ということは変化を認識するものがある、ということになる。それが心だ、と言えばそれまでだが、心なんてのは結局化学物質と電流の流れの変化に過ぎない、ってさっき自分で言っただろ?というのもあるし、そう思うように変化した、ということは、その「変化」を「認識」してそう「思う」独立した存在がある、ということにはならないか。
それに、ヒトを一人、細かくばらばらに解剖していっても「心」なんてものが取り出せたという話は聞いたことがない。取り出せるのは細かくなった肉片やら細胞やら、そんなものだろう。

というのは、どんな動物でも変わらない。ヒトでも犬でも昆虫でも微生物でもそうだろう。ばらばらにしてしまえば結局骨やら細胞やらになってしまう。

同じようなモノからできているのに、微生物は心を持ってはいないだろうし(と自分は思う、機械的に周囲の状況に反応しているように見える)でも犬には心がないか、と言われれば犬には心があるんじゃないかなあ不機嫌そうだったり嬉しそうだったりするし、と考えると、同じ様なものからできているのに一方には心が無いように思えて、一方には心があるように思える、というその差は何か。
脳組織の細胞の数がそれを決めるのか?と考えれば、そうしたらヒトより脳が大きい鯨やらイルカやらはヒトより遥かに高等な心があるのか、いやそれはおかしい、とも思える。