無限を考えない理由。

無限に広い宇宙はダメ。無限に増えてしまうドラえもんはダメ。といったことであっさりと「無限」というものを否定しているが、「別に無限だっていいじゃん」と思う人もいるだろう。ということであっさりとこの無限を否定する理由について。

とは言え、これを否定する理由は「だってそんなのおかしい」というロジカルでないところに多くを依存している。
無限に広い、無限に重い、無限に増える… ほらやっぱりおかしい。
(無限に〜としたら、という仮定は別だ。これは「無限というものがあったとしたら」と仮定した上で導入されているだけであって、「無限が実在する」ということを前提にしていない)

ではその違和感はどこから来るのか。とすれば
・日常的に無限というものがない
もちろん日常的に感じられるものだけが真実ではないが。日常的に(人間の意識できるところでは)すべてのものが限られている。天文学的な数で、数え切れないとしてもそれは技術的な限界、時間の限度、それにかかるコスト等々…の制約によって「数えられない」というだけであって、上限は決まっている。
宇宙にあるすべてのモノの重さの総和=無限に重い ではないだろう。実際にそんなものを計測することはできないが、それはあくまで、人間にはできない、というだけであって総和は決まっているだろう。
・無限という値で計算できない
無限の2乗は、などと考えても仕方ない。何しろ相手は無限であるから、無限が倍になったところで… となるのが自然だ(そもそも無限を倍にするというのはどういうことなのかもわからない)

まあ一言で言ってしまえば、「数えられないから」ということだ。数えられない量というのは人間の感覚からあまりにも乖離している。「数えられなくたっていいじゃん」と言われてしまえばそれまでだがそういう人は自分とは感覚が違う世界の人だ。

と、ここまで書いてみて、理屈の上ではこうだからおかしいんです、と言っても、その前提が、「だっておかしいよ、そんなの。なんと言おうがそれはおかしい」という非論理的なところに依存しているなあ、ということに気づく。
「無限は数えられないからおかしい」→「数えられなくたっていいだろ」→「いや数えられないのはおかしい。それはとにかくおかしいのだ」という構造になっている。ということは、「理由はないけどとにかくそれはおかしいのだ」という前提をおいてから始まる理屈で考えても、本当のことはわからない、ということになるのだろうか。