結局そこらへんにある深層心理テストなんて血液型占いみたいな物なんじゃないの?という事を書いた。

(統計で得られた根拠というのは、有力な証拠ではあるが絶対の真実ではなかろう。この猫のしっぽは1本だしあの猫もそうだしその猫もそうだし、じゃあすべての猫のしっぽは1本なんだ、とは(厳密には)言えない。次の猫のしっぽが2本ではない保証など無いのだ。せいぜい、今までに調べた猫のしっぽはすべて1本なので、高い確率で次の猫のしっぽも1本であろう、としか言えない(まあ実際にはしっぽが無い(短いから無いように見える)猫もいるけどそれはそれとして) また、自分の欲しい根拠を作り出すために意図的に都合のいいデータだけを集めてきて適当に統計的根拠を作り出す事もできるだろう)

とは言え、深層の心理、というものは無い、とは思えない。
意識することはできないけど、意識に常に影響を与えている潜在的なもの、というのはいかにもありそうだ。

必然性が説明できない理由もそこにあるのかもしれない。意識することができない心理に影響されてその選択をしているのだ、と思えば、じゃあとりあえず必然性を説明することはできないけれど、やっぱり人は自分の中にあるものを使ってそれを選択しているんだ(意識できない心がそうしろって言ったからそうしたんだ、ということだ)ということは人はすでにある筋書きに沿って行動しているあやつり人形では(とりあえずは)なさそうだ、と言えるのではなかろうか(強引ではあるが)

と言うよりは、本当のことなんて無いのかもしれない。というよりは、本当の事が人間にはわからないように、この世界は巧妙にデザインされているように思える。
宇宙が広すぎて端まで行って様子を見て帰ってくることができないことも(一周したら元の地点に戻れるかどうか、ということも実験できない。結果を待つ間に寿命がきてしまう)、光の速度を超えることができないことも、そういったデザインの一部なのではないか。
脳を理解しようとすることもそうだ。理解するためのモノが、それ自体について理解しようとしている。自分で自分の体全体を観察しようとしても背中は見えない、といったような具合だ。もちろん他人の背中を観察することはできるが、それはあくまでも他人のものであって、自分の背中も同じである保証は無い。
(でもあの人の背中はこうなってるしこの人もそうだしそれなら自分のもそうだろう、というのは、高い確率でそうであろう、というだけで絶対にそうであるとは言い切れない、ということは上のほうで書いたとおりだ)