つづき。脳だけ生きている、という状態はどうなるのか。

意識・思考・意志があるのならそれは生きている… という事にしよう、とも思えるのだが、一切の感覚がなくなってしまっている人間、というものも想像しがたいものがある。
視覚・聴覚はもちろん触覚・温度の感覚・嗅覚等々…が一切無かったとしたら。

その状態で、自分がいる、ということを実感できるのかどうか、おそらくできない。
できることは、考えるということのみである、という状態で「生きている意味があるのか」としたら… やはり体を通して得られる感覚とそれを認識する意識、という二つが揃っていて初めて人間は人間であろう。(感覚は不完全でもいい。一つか二つ欠けていても問題ではない。というよりは、一つあればいい。一つでもあれば「自分がいる」ということを認識できるはずだ)

そしてもちろん脳だけでは感覚というものは得られない。センサーがないのだから。温度センサーからの信号を受信する端子が付いている機械そのものだけでは温度がわからないのと同じことだ。その機械にセンサーをつけて初めて温度がわかる。

そもそもが、これは死んでるのか死んでいないのかわからないが、それを定義しよう、というところに無理があるのではないか。自明な死ではないが、死んでいるのか生きているのか決めかねるもの、というのがそもそも不自然なのだからしょうがないのだが。

(呼吸していない・心臓が動いていない・血流がない・脳の活動も停止している全停止状態を自明な死としよう、逆に、これらすべてが(不完全にせよ)満たされていればそれは生きていると言える、これは自然なことだ。ただ、健康な状態から瀕死まで、程度の差はあるが)

と考えると結局、人の英知そのものが不自然なんだなあ…と思わざるを得ないわけではあるが。