あんたの言う事はインテリジェントデザイン的だなと言われたので、インテリジェントデザインとは何ぞやと検索してみました。

インテリジェント・デザイン(Wikipedia)


インテリジェント・デザインとは、宇宙、世界や生命、人間が「創造主なる神」によって創造されたとする創造科学から興った論説。

聖書信仰を基盤にする宗教的な論説の創造科学から宗教的な表現をなくして一般社会や学校教育など、広く受け入れられるようにしたもので、近年のアメリカで始まった。宗教色を抑えるために、宇宙や生命をデザインし創造した存在を「神」ではなく「偉大なる知性」と記述することが特徴である。これにより、非キリスト教徒に対するアピールを可能とする。また宗教色を薄めることで、政教分離原則を回避しやすくなる。(公教育への浸透など)

ということのようです。そう考えると「進化は自然淘汰と有利な形質を偶然に得た個体同士の繁殖によって起こったということのみで説明できるの?」という事や、常々思ってる「世界は巧妙にデザインされてるように思えるな」ということは確かにインテリジェント・デザイン的だなあと。

まあこの単語自体今日に至るまで知らなかったわけですが。聖書も読んだことないし。ただ、偶然にしては世界というのはよく出来すぎてるなあ、なにか意図的にデザインされているように思えるよ、と言うだけで別にインテリジェントデザイン信仰者っていうわけではないんですが。

まあキリスト教としては世界は神が作ったとしたい、そのためには進化論は排除したい、でも「神が作った」とするのは宗教色が強い、じゃあそこを置き換えて… となるのはわかるけど。まあもちろん「偉大なる知性が世界を作った」としてもいいけど、その偉大なる知性の実在を証明できないのであれば「なんとなく納得した気分になるための理屈」に過ぎないものですね、これは。

(まあ、このインテリジェントデザイン論が、まず「偉大なる知性」の存在を前提にして、偉大なる知性の存在を証明するための理論、というのであれば話はまた変わってくるけど。偉大なる知性がそういうふうにしたんですよ、というだけでは神が作ったんです、ということと何ら変わらない。
偉大なる知性の存在はとにかく絶対なのだから当然そうなるでしょ、ということには反証の余地もないし、本気で「偉大なる存在」の実在を前提にするのであればそれは宗教であって科学ではない。まあ疑似科学ということになるのか)

とは言えやっぱり世界は偶然にしてはよく出来すぎてる、とは思うが。何もないところから世界が発生して人間が生まれてこういったことを考えている、ということは単なる偶然です。としてしまうのは、河原の石ころを適当に拾って投げ続けていたらいつのまにか見事に家の形に積み上がってました、というようなもんだとは思う。

それと、偉大なる知性 というものがあるのであれば、「どうしてこうなるように世界を作ったの?」と聞いてみたいところ。それに対しては説明できるんだろうか。他の作りようもあったはずなのにどうしてだろう、と。このようにしか作れなかった、ということであれば、偉大なる知性にすら何らかの制限を与える存在がある、つまり完全・絶対な創造主ではない、ということにならないだろうか。「なんとなくそうなるように作った」ということでは「その必然性」を説明した事にならないし。それに、偉大なる知性によって作られたのであればもっと理想的な、人が夢想するユートピアのような世界であっても良かったのではなかろうか。まあ、あえて人間には苦労させよう、と思ってそうしたとも考えられるけど。

2ストスポーツKRR150SSR
これで30馬力くらいあったら楽しげな。でも、タイバイクに感じるこの違和感はなんなんだろう…なんというかCB125Tをちょっとスポーティにしてみたんだけどやっぱり無理でした的な。シート位置とタンク形状からなにか違和感を感じるんだろうか、でも国産だってこんなもんだよなあ、なんなんだろうか。
故障時のパーツとか修理とかどうなのかなあこういうタイバイクって。そこらへんがクリアならちょっと乗ってみたい気はしないでもない。